2022年にChatGPTが登場して数年経過した。いわゆるAIの登場として世間では認知されており、お昼のワイドショーでは盛んに取り上げられている。人工知能が人類を超越する「シンギュラリティ」も早々に訪れるかと思っていたが、2026年5月現在ではまだそのレベルに達しているかどうか微妙な感じ。知能だけを比べればおそらく人間を超越しているが、自我のない分超越しているとも言い難い。
そもそもAIってなんだろうか。Artificial Intelligence、人工的な知能という略語であるが、ChatGPTは知能なのか。人間の脳のニューロン構造を模倣して、大量の情報からニューロン構造を学習し、それらしい応答ができる構造ではあるので、確かに人工知能という意味合いでは一理ある。一方で、ChatGPTの詳細は理解していないが、diffusionなどのイラスト生成AIは、テレビ放送されていないアナログテレビチャンネルのようなランダムノイズ画像にフィルタをかけ、イラストと認識できる画像が得られなければフィルタを変化させ、プロンプトに最も近い結果を得るような構造をしている。これは、ワイドショーや世間でAIと認識されている「人間の代わり」というものとはかけ離れていないか。自立・情動・注意・自我といった人間らしさが一切無い。人間の出力と似ているかどうかだけを判断し、そうでなければ手当たり次第に試すだけで、「人間とは、考える葦である」という言葉で表されるような、自ら企画し、試行し、提案するということはない。技術を生み出す側は認知・知能という意味でAIと言い、世間はドラえもんのような自立した人間の形をAIと認識していて、齟齬が出ていることに、メディアはきちんと取り上げていないと感じる。そういう意味では、メディア(特にワイドショー)は毎度違う専門家に発言させ都度違った発信をしており、公共資源の電波を占有して使用しているにも関わらず、その責任から逃れようとしているようにしか見えない。自ら勉強し責任を負って解説できるように努力すべきである。
閑話休題。ChatGPTが出た当初、AIがまるで万能のように大きく取り上げられていたけど、嘘の情報をまことしやかに出力する嘘生成器としての側面を強く感じ、一定の距離をとっていた。嘘をついている前提でソースの提示を求めて調べながら使えば使えないものではないが、それでも、出力結果が嘘だという前提で考えることが必要である。あくまでツールであって主体ではないと理解しなければ飲み込まれてしまう。
AIが今後進化して人間同等の自立ができるようになった場合、人権を与えるのか、AIの責任はどうするのか等、今のうちに法的な整理が必要である。自動運転の車が歩行者死亡事故を起こしたら誰が何の責任を取るのか。誰も責任を取らないのか。AIロボットで戦争を仕掛けたらどうするのか。世界レベルで「人が責任をとる」「AIはツール」という立場の確立が重要であるが、世間では今のところ、ドラえもんのようなAIに人権が与えられるべきという認識が広がっていないか。
個人で思うに、技術者がAIにいかなる実体としての実行権限も与えないことが、今後人間がAIに駆逐されないために必要な措置だと思う。Mythosが話題になっているが、これは実行権限を与えてしまっているからである。クローズドで対象プログラムを食わせて解析するだけであれば問題ない。AI兵器などもっての他である。
世間も情報をうのみにせず、自ら調べ、自ら考えて行動すべき時が来ている。今行動しないと人類の未来は危うい。まるでアヘン中毒に陥る中国のようで、現代社会はAI中毒に見える。技術的な部分が世間に正しく認知されておらず、AIが一定程度人間の代わりに使える万能ツールという認識しかされていない。だからMythosが出ただけでこれだけ大騒ぎしている。職場ではAI大好きな人たちがいて、なんにでもAIを導入すれば人間がその恩恵を受けられるとの思考を持っている人がいる。現在AIといわれているものは、統計的な確からしさに基づき出力するツールであり、自ら思考して責任を取れるものではないので、AIありき、人間の代わりという安価な思考は今すぐ捨てるべきである。恩恵を受けられるのは一瞬で、次に人類はAIに依存し、その先に繁栄はありえない。
21エモン第31話「目玉と口が散歩する?エモン ゼロ次元の恐怖!」をぜひ見てほしい。